お嬢の母ちゃん日記(旧お嬢の妊婦日記)

赤ちゃん休憩室について、

「こうだったらいいな」等の意見を募集中です。

まとまったところでメーカー・行政に向けて意見を提出するつもりです。

使いやすい赤ちゃん休憩室が増えるように、

実際使ってる私たちの意見を届けたいです。


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母ちゃんはATMになりたい

サナオ氏、今日から本格的に大学受験突入です。

12月にも一回、先月は共通テストも受けてますが、兎にも角にも今日からが本格的。

同じ時期に出産したみんなのとこも、進路どうなってるかなーと

アメーバを開くと思い出しますが。


そうよ、あのクソ元気野郎のサナオが

まさか中学生の時に不登校になるなんて、誰も想像してなかったでしょ!!


まだメンタルは復活し切れてないけど、とりあえず大学受験したいと言うので

この細い細い私の腕にだけ、とてつもない費用負担が課せられております。


塾→月10万オーバー

冬季講習→45万(19万まで落とした)

受験代→30万オーバー(まだ増える予感)


その上、先月は高校卒業がかかった補習に絶対出なければならず

高校があるところに三連泊(無駄に観光地だから温泉三昧)、63,000円也。

1日だけたけど、まさかの部屋に露天風呂付だったり…


無制限のATMかっ!!!

来月のカード支払い、給料の2倍くらいだ。


読み飛ばした方のためにもう一度書いておきますが、

私の細い細い腕にのみ、この金額がかかってます。

私の一馬力です。

そうよ、一馬力でずっと頑張って来ているのですよ。

ずっとね、ずっと。


※最近仕事も超多忙、サナオの超絶反抗期につき、機嫌が益々悪い私のグチになりました

母ちゃんで18年



母ちゃん業も本日18年を迎えました。


もうサナオは私を「母ちゃん」とは呼んでくれません。

「ねえ」

がほとんどでしょうか。

反抗期4年目です。


一応高校三年生。

夏には彼女も出来て、「人様に好かれる男に育てられてよかった」と思ったもんです。

一応進学を考えておりまして、毎月10万円を超える塾代に、

日々冷静さを保てないワタクシです。


一応元気にやっておりますよ。

母ちゃんもいただきましたなのか

昨日から超微熱が出たり下がったりを繰り返しておりますよ。

36.9度は発熱ではないけど、平熱36.0度の私にとってはちょっとしんどい。

動けるけど。

洗濯して干してご飯食べるけど。


平熱バリバリのサナオが何もしない事に腹が立ちます。

「言われたらやろうと思ってた」だってさ。

何も言えないくらい具合悪かったらどうするんだろう。

(熱出てきたとは知らせたけど、そこから20時間くらいスルーされている)


指示待ち人間はキライだ。


母ちゃんも軟禁生活

って事で、お誕生日にうけたPCR検査の結果、



陽性



でしたよ。

とんでもない誕生日を迎えてくれやがりました。


サナオ氏は火曜日まで軟禁、

私はその後検査の結果陰性が続けば来週金曜日からシャバに出られます。


さぁ、私は感染しないで乗り切れるのか!


※サナオがマスクも消毒もしないで家の中をウロウロするのを何度起こったかとか…

母ちゃんで17年

おっと、1年ぶりの更新


そう、本日私の出産から17年経ちました!!

(誕生日おめでとうではない!)


サナオ氏は高校二年生になんとかなれてます。

この前、一年生で取る単位が全部認定されました(!?)

まだまだ安定しない生活してますが、昨日まで三泊四日の修学旅行に行って来ましたよ。



で。



帰宅後、発熱。

37.7°の体温計写真をインスタのストーリーにあげていたそうで、

発熱自体を知らない私は今朝普通に出勤。

電車の中でたまたまサナオの仲良しに会ったところで

「サナオ、熱出てるんでしょ?」と知らされる事態。


インスタにあげてるヒマあったら、母に言え!!!(未だ絶賛反抗期中)



一旦出勤して、テレワーク出来る様に資料を持って帰宅。

何だかんだでサナオの熱は38.7°まであがり、とりあえずPCR検査はして来ました。

結果は明日の午前中だそうで、それまでは気が抜けねーぞ。



という、誕生日どころでない一日です。


でも出勤する前、リビングに飾り付けて行った優しい私を褒めて下さい。


母ちゃんで16歳

絶賛壮絶反抗期中、9月は学校からもオンラインだからほぼ引きこもりの人が昨日16歳になりました。

母ちゃんも母ちゃん歴16年突入。
ここ2年間がさらに壮絶の嵐真っ只中ですが、まぁ何とか生きてます。


6の上にハムミさん。
ツンデレ女子。

母ちゃんは新盆です

1月に母が亡くなり、今年は新盆でございます。


とは言え、我が家は無宗教。

葬儀以来、49日法要も何もしておらず。

そしてお盆と言いつつ、私も兄も通常仕事。


今頃帰ってきたんだろうね、くらいに思ってます。

一応、昨日実家に行って、お骨に手を合わせて来ました。

(お墓もまだ無い)


そしてお香典返しを全くしてなかったことに気付き、

帰りがけに葬儀屋さんに相談、手配をする段取りだけして来ました。


相続の手続きもなかなか終わらず、サナオは相変わらずで

こっちはこっちでホント腹立つ日々でございます。

母ちゃんの母ちゃんの恋愛事情

って事で。

実母の葬儀当日、結局参列したのは私の兄、私、サナオ、実母の弟、その息子の5名でした。
何も信仰がないので、お別れの会みたいな形にしました。
お風呂大好きな実母だったので、最後に体を洗ってもらい、お花たくさんの中で送りました。

もうね、全てが事務的。
こんなご時世だから、一箇所にとどまる事をなるべく避ける。
悲しむ感情がわくわけない。

火葬場へ移動し、実母の棺がおろされてもほぼノンストップで
そのままガッチャンと火葬するとこに入れられ、「あちらでお待ちください」と案内されるという、何が何だか呆気なく…。

で、1時間半くらい待つわけですが、そこで実母の弟の息子、すなわち私からするとイトコから衝撃の発言が。

ちなみに私はこのイトコが昔から大嫌いである。
葬儀なのに、喪服着てこないんだぜ、ダーク色だどネクタイは柄物なんだぜ。
そんでもってデリカシーが昔から無い。
そして私より10歳上だけど、私はすでに高校生の時から嫌いである。

そんなイトコが覚えている限りの話しをしてくれる。
どうやら、実母は結婚前にこのイトコの家に住んでいたらしい。
というか、実母の実家というところか。
このイトコが実母の兄妹の中で初子供だったから、かなりかわいがってもらったそう。

そしてイトコが放ったのが

「おばさん、婚約者を飛行機事故で亡くしてるよね」

…えーーー!!!
初耳じゃ!!!

確かに実母の結婚はあの時代にしては遅かった。34歳で結婚、兄を35歳で産み、私を37歳で産んでいる。
その時代に女性で教員なので、バリバリ働いていたから婚期が遅かったのね、位に思ってた。
(ちなみに父は教科書会社の人だったから、出会いは学校なんだろう)

その前に、実は婚約していて、その婚約者を飛行機事故で亡くしていたとは…!

イトコが
「ぼんやりとだけど、4歳くらいの時におばさんが泣いてたのを覚えてる」
と言う。
そしてそれをイトコの父(実母の弟)に確かめたけど、「そんなこともあったかなぁ」くらいでした。

私たちにそんな事を話してくれなかったってことは、実母にしてみたら知られたくなかったのかもしれない。
どんな人だったか全くわからないけど、その人と実母が結婚していたら間違いなく私は今ここにいないわけで。

ま、今頃その婚約者だった人と会えたね、実父が邪魔してないといいけど。
(実父、19年前に亡くなってますが、実母とは私か記憶ない頃に離婚しております)


そんなこんなでサナ入試まであと3日…
私が吐きそう。





母ちゃんの母ちゃん葬儀ネタ

サナオの入試が来週に迫り、何もしないサナオにモヤモヤするしかないワタクシです。

結局、私立高校を専願。

受かって欲しいけど、受かったら受かったで支払う入学金50万円は誰が払うんだろう…という更なるモヤモヤ。


って事で、現実逃避で(?)実母の葬儀ネタでも。


実母が危ない、という連絡を兄からもらったのは1月6日午前3時頃。

その時間帯はもちろん電車はなく、タクシーはこの時間帯は事前予約制なので呼べなくて、

電車の始発を待つしか無い状況。

間に合うかな、どうかな、と思っていたけと、3時30分頃に「息を引き取った」と連絡が来ました。


12月に施設に面会に行った時、「年末かお正月にサナオ連れて来るからね」と言ったけど

昼夜逆転で絶賛引きこもりのサナオが動く事はなく、

結局サナオを連れて行ったのは去年の夏が最後だったのが心残り。


とりあえず始発で実家へ向かいながら、何をやらないといけないかなぁと思ってました。

「葬儀はしないでいいわ、お墓もいらないわ」と生前実母が言ってたけど、形式でいいからお別れをさせてもらおう。

友達も多くて、仕事のからみの知り合いも多かったけど、このご時世だとお知らせするのも気が引けるなぁ、とか色々考えながら


まずは遺影を探そう。


って事で、ノートパソコン持参(写真はデータ化してパソコンにある)で実家へ向かい、

実家で写真フォルダ内を探してました。


が、いい写真がない❗️


写真屋さんで撮った様な写真、無いだろか?

そういえば、サナオのお宮参りとか七五三の写真は実母もいるぞ❗️

と、写真屋さん(というかスタジオ●リス)で撮ってもらって

台紙に挟み込んでもらった写真を見てみよう❗️と、リビングに置いてある写真一式を見てみたものの、

お宮参りも七五三も実母がいない‼️

(元義理両親だけだった…)


あ、このちょっと違う台紙の写真、禁断の写真なのはわかっているけど

ここに実母が写っているのは覚えてる…💦

その禁断の写真を勇気を出して手に取りました。


まだこの世にあったのか…

写ってる人、私以外は全員死んだな…


と、私が白いドレスを着ていて、懐かしのぢぢぱぱがタキシードを着ていて、

両家ジジパパもおめかししている写真、私の暗黒史の始まりの写真。


でもこの実母の写真、みんなの印象にあるのって、この頃のこの姿でない?と、なり、結局その写真を遺影に使いました。


葬儀屋さんに台紙ごと写真を持っていって、「お恥ずかしい写真ですが」と渡し、

台紙に挟んであると上手くデータに取り込めないかもしれません、と言われた時に

「台紙は剥がしてもらっていいです、ついでに処分してもらいたい位です」

って言ったら「色々あったんですね」と苦笑いされました。


結局、台紙ごと写真は戻ってきましたが、後日燃えるゴミの日に捨てました❤️


葬儀屋さんで、検死から戻ってきた実母とやっと会えましたが、

寝ている実母は何度も見てきたけど、起きない実母は初めてだなぁ…と思ったかな。

施設に入って3年近く、だいぶ痩せちゃったし、痴呆も進んで私のこともわかってなかったけど、

読みたがってた本も今頃しこたま読んでるかな。

そんな事を考えてました。


未だ亡くなった現実は納得出来てないけど、とにかく実母は自由に生きた人だったなぁ、という現実だけなんか痛感してるのが不思議。



次回、火葬中にいとこから聞いた、実母の衝撃の過去の話しです。


母ちゃん、母ちゃんを送る


何の写真?と思われると思いますが、昨日の横須賀の空。
真っ青。

そんな昨日、実母の葬儀をおこなってきました。
突然のことだけにビックリだ。
まだ信じられてない。
あの自由奔放の実母が。
じっとしていられない実母が。
「SANAO-CHAN」とパソコンでシールシートにプリントして
Tシャツに貼って着ていた実母が。


食べたものを吐く、と亡くなる数日前から施設から連絡が入っていたそうで、
病院連れて行くか、という日の明け方に息をひきとりました。
苦しい事もなかった様で、結局死因は老衰という、85歳にしては若いかもだけど
やりたい事をやりきった人生だったと思います。

葬儀に関しての笑いネタは多少ありますか、とりあえず今は悲しまないといけないので、
気が向いたら葬儀ネタをさらします。

とは言え、コロナのせいで、何もかも簡略化で悲しむ余韻もないままなんだな。

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